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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)3654号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金一億一四〇三万四九六三円及びこれに対する平成四年一二月二六日から支払い済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  原告の請求

被告は、原告に対し、金一億七九九三万六〇九七円及び内金八三〇七万九三七七円については平成三年二月二八日から、内金九六八五万六七二〇円については同年一二月二六日から、各支払い済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  原告は、大阪市内に歯科診療所を開設し、歯科治療を行う歯科医師であり、被告は、有価証券の売買、媒介、取次、代理などの証券業を営む証券会社であるが、原告は、昭和五九年ころから、被告(担当者宮地俊行〔以下「宮地」という。〕)を間接代理人として株の売買取引を開始し、信用取引によつて岩谷産業株式会社の株式の売買を行い、平成二年一〇月二四日の段階では、合計七三万一〇〇〇株の同社株(信用四七万五〇〇〇株、現物二五万六〇〇〇株)を保有していた(争いがない。)。

二  しかし、原告は、平成二年一〇月二五日、宮地を原告の経営する大阪市北区内の歯科診療所に呼び、右信用取引による岩谷産業株の継続的売買を中止し、手仕舞いを行いたい旨告げるとともに、当時原告が保有していた岩谷産業株を、少なくとも同年一二月三日までにすべて売却するよう指示した(争点)。

三  ところが、宮地は、別紙1中の一〇月二五日以降欄記載のとおり、原告保有株の一部しか売却しないのみか、新規買付けをも行い、後に売却した際の取引差損金を原告口座から引き落とした(争いがない。)。

四  そこで、原告は、被告に対し、〈1〉無断買付けにかかる取引差損金については、右買付けの効果が原告に帰属していないとして、右差損金相当額金八三〇七万九三七七円の預託金返還を求め、〈2〉売却指示違反による不売却株の得べかりし利益については、債務不履行に基づき、金八二八五万六七二〇円の損害賠償を求め、さらに、〈3〉弁護士費用として、金一四〇〇万円の損害賠償を求めた(争点)。

第三  争点

本件の争点は、〈1〉平成二年一〇月二五日の原告の買付指示・売却指示の有無、〈2〉同年一一月一三日売却の五万株は、新規買付株と既保有株のいずれを売却したものか、〈3〉無断買付けの関係で原告が返還請求しうる預託金の額、〈4〉売却指示違反の関係での損害賠償額である。

一  平成二年一〇月二五日の原告の買付指示・売却指示の有無

1  原告の主張

(一) 原告は、平成二年三月ないし四月の岩谷産業株の暴落を契機に、信用株の取引用資金として、複数の金融期間から合計一億二〇〇〇万円程度の借入れをしたが、この借入金返済については、借入れ後半以内に始まることを予定していた。また、原告は、それ以前にも二億円の借入金があつたため、保有株をすべて売却して、借入金返済に充てることを企図した。

また、原告は、同年一〇月ころ、リバティ情報研究所からの情報として、同年一二月三日に東京地方で直下型の大地震が発生するとの噂を聞き、株価の先行きに強い不安を抱くようになつた。

さらに、原告は、平成二年八月にイラクのクウェート侵攻が始まつたことによつても、株価の先行きに強い不安を抱くようになつた。

(二) そこで、原告は、同年一〇月二五日の午前中、大阪市北区において経営する歯科診療所に宮地を呼び寄せて、岩谷産業株の継続的売買を中止し、手仕舞いを行いたい旨告げるとともに、当時原告が保有していた岩谷産業株のすべてを、同年一二月三日までにすべて売却するよう指示した。

(三) ところが、宮地が右指示に反して、保有株の売却を進めず、かえつて新規買付けを行つたので、原告は、同年一一月初めころから中旬ころにかけて三度にわたり、宮地自身に抗議したが、なお同人が従わないので、一一月二二日には、宮地の上司である守屋東(本店投資相談部々長)に抗議をした。

2  被告の主張

(一) 原告主張のような売却指示はない。

(二) 原告は、昭和六二年ころからは、投機性の強い岩谷産業株に絞つて取引をしており、しかも、相場が乱高下しているときに、買い下がり、売り上がるという手法で注文を出していた。本件当時における原告の宮地に対する指示は、当初の詳細なものから、売り上がり、買い下がり注文といつた簡単な方法に変わつていき、特段の指示がない限り、それ以外は宮地に一任するという方法がとられていた。

(三) 原告の主張のとおり、宮地は、平成二年一〇月二五日に原告の診療所を訪問したが、それが株の受渡しのために宮地の側から申し出たものである。また、その際、原告の借入金の話や、東京大地震の話が出たこともあるが、保有株はすべて売却する指示などなく、原告は、宮地に対し、一二〇〇円以上で売り上がり、一一四〇円以下で買い下がりの指示をした。

(四) 宮地は、右指示に従つて取引を行つて、約定ができればその都度原告に連絡しており、原告から特別の異議はなかつた。また、原告からは、株価の動向に応じた指示の変更もあつた。

ところが、宮地の海外旅行中であつた同年一一月二二日になつて、突如、守屋部長に対し、原告から抗議がなされたのである。

二  平成二年一一月一三日売却の五万株は、新規買付株と既保有株のいずれを売却したものか。

1  争いのない事実

(一) 宮地は、平成二年一〇月二五日から同年一一月一九日の間、原告の計算に帰せしめる形で、合計三〇万二〇〇〇株を信用取引により買い付けた。

(二) 原告と被告(担当者は、守屋の後任である上田雄三)の話し合いにより、右新規買付株のうち合計二五万二〇〇〇株が、平成三年二月二二日から同年三月七日にかけて売却(反対売買による差金決済)された。

2  被告の主張

右新規買付株の残余五万株は、平成二年一一月九日買付分であり、これらについては、平成二年一一月一三日、「売却・現引き」という節税手法を用いて処分し、これにより三三六万一〇六二円の益金を得、同金額を保証金に振り替える処理がなされた。

すなわち、平成元年四月から実施されたいわゆるキャピタルゲイン課税制度によれば、顧客は、信用取引によつて益金が出る場合、〈1〉差金決済をして源泉分離課税方式(益金の二〇パーセント)をとるか、〈2〉信用買付株を現引きしたうえで、現物売却し、その売却代金の一パーセント相当分の源泉分離課税方式をとるか、いずれか有利な課税方式を選択することができるようになつた。反対に、信用取引の決済で損金が生じる場合は、差金決済して損金計上すれば、譲渡益が生じないので、課税されないで済むこととなる。

ところが、右〈2〉の手法をとつたとき、現引きした株券をそのまま当日売却した株券に対当させたならば、その取引は、差金決済取引として、「証券取引法第四九条に規定する取引及びその保証金に関する省令」九条に違反し、かつ、税法上もキャピタルゲイン課税違反で脱税となる。

そこで、本件では、原告が岩谷産業の現物株を大量に保有していたことから、現物株の売約定が成立すれば、既に保有している他の株券(銘柄は同じ)を売却株券に一旦提供し、他方、右売約定額に照らして利益の出る信用買付株を選択して現引きし、現物株の売却代金を現引決済の資金に充てる手法をとつていた。そして、それによる益金は、それをいつも保証金に振り替えるのである。

原告の取引では、本件以前からこのような決済方法をとつてきたのであつて、一一月一三日に五万株を売却した後、五万株(一一月九日買付分)を現引きし、その差益として、三三六万一六〇二円を保証金に振り替える一連の行為は、一一月九日に信用買付けをした五万株を一一月一三日に実質上決済したことになるのである。

3  原告の主張

被告主張のように、信用買付株を現引きして、同日当該株式を売却することは、キャピタルゲイン課税の脱法行為であるから、右一一月一三日の五万株売却は、原告の当初保有株の売却と見るべきである。また、仮に右売却が新規買付株の売却と見るとしても、右五万株はそもそも無断買付によるものであり、原告に効果が帰属しない性質のものであるから、その売り付けによる精算処理の効果も原告に帰属しない。

三  原告が返還請求しうる預託金額(無断買付関係)

1  争いのない事実

(一) 右のとおり、新規買付株三〇万二〇〇〇株のうち二五万二〇〇〇株は、原告と上田の話し合いにより売却され、差損金二七九二万九二九五円が原告口座から出捐された。

(二) 新規買付株の残余五万株について、被告は、平成二年一一月一三日に、現引きのうえ売却したとして、現引用弁済金五五一五万〇〇八二円を原告口座から出捐した。

2  原告の主張

(一) 右の一一月一三日に売却された五万株は、前記のとおり、既保有株から売却されたと見るべきであり、同日現引きの五万株は、原告に帰属しないまま現存しているに過ぎない。

(二) よつて、被告は、合計八三〇七万九三七七円を理由なく原告口座から出捐処理したことになり、原告は、右相当額の預託金返還請求権を有する。(2792万9295円+5515万0082円)

3  被告の主張

(一) 平成二年一一月一三日売却分は、同年一一月九日に買い付けた新規買付株を売却したものであり、これにより三三六万一六〇二円の差益を生じた。

(二) よつて、新規(無断)買付けによる原告の出捐は、二四五六万七六九三円となる。(2792万9295円-336万1602円)

四  原告の損害(売却指示違反関係)

1  争いのない事実

(一) 平成二年一〇月二四日時点での原告の保有株数は、合計七三万一〇〇〇株(信用四七万五〇〇〇株、現物二五万六〇〇〇株)であつた。

(二) このうち、被告宮地は、同年一〇月二五日から一一月一五日にかけて、合計二〇万五〇〇〇株を売却した。これにより、原告の保有株は、信用二七万株、現物二五万六〇〇〇株となつた(ただし、原告主張のように、同年一一月一三日売却分の五万株が、既保有株から売却されたものだとすると、現物売却分は五万株増加する。)

(三) 原告と被告(担当者上田)の話し合いにより、平成三年二月六日から同年三月二六日の間に、合計四四万株(信用二七万株、現物一七万株)が売却され、原告は、四億二〇八三万四六七四円を得た。

2  原告の主張

(一) 前記のとおり、平成二年一一月一三日売却分の五万株は、原告の既保有株を売却したものである。したがつて、宮地が原告の指示に反して売却しなかつたのは、四七万六〇〇〇株である。

そして、原告の平成三年三月末日時点での残り株数は、三万六〇〇〇株(現物)であつたが、原告は、本件の解決を留保したうえで再開した被告との取引において、平成四年一月一六日以降、順次右残余株式を売却し、二一九四万八三九八円を得た。

(二) 損害額の算定

(1) 得べかりし売却代金

原告の売却指示期間である平成二年一〇月二六日から同年一二月二日の間の東京株式市場における岩谷産業株の終値平均は、一株一一三二円を下らない。

したがつて、宮地が売却しなかつた四七万六〇〇〇株の得べかりし株式売却代金は、五億三八八三万二〇〇〇円となる。

(1132円×47万6000株)

(2) 右売却に要する費用 ……一三一九万二二〇八円

ア 委託手数料 ……四二七万三二八四円

ただし、一株一一三二円で一万株ずつ売却したものとして計算する。

イ 有価証券取引税 ……一三一九万二二〇八円

ただし、約定代金×〇・〇〇三の式により算出する。

ウ 消費税 ……一二万八一九八円

ただし、委託手数料×〇・〇三の式により算出する。

エ 信用取引金利 ……一七八万五九一〇円

信用買付残株二七万株の売却までの金利であるが、宮地は、遅くとも一一月八日までには、現引きして決済できた筈であるから、その日までの金利を計算すべきである。

オ 源泉税 五三八万八三二〇円

ただし、約定代金×〇・〇一により算出する。

(3) 四七万六〇〇〇株の現実の売却(1(三)、2(一))によつて原告が現に得た代金は、四億四二七八万三〇七二円である。

(4) 結論

よつて、損害金合計((1)-(2)-(3))は、八二八五万六七二〇円となる。

(三) 弁護士費用

被告が任意に預託金及び損害賠償金を支払わないため、原告は被告訴訟代理人らの本訴の提起追行を委任することを余儀なくされた。これによる損害は、一四〇〇万円である。

2  被告の主張

(一) 前記のとおり、平成二年一一月一三日売却分の五万株は、新規買付株(一一月九日買付分)を決済したものである。したがつて、宮地が原告の指示に違反して売却しなかつたので、五二万六〇〇〇株である。

そして、原告の平成三年三月末日時点での残り株数は、八万六〇〇〇株(現物)であつたがこの八万六〇〇〇株は、被告(担当者上田)との話し合いの結果、平成三年二月六日から売却処分を始めた際も、売却の機会もあり、その条件も整つていたにもかかわらず、原告が自ら保有する道を選択したのであるから、これについては、原告の損害から控除すべきである。

(二) 損害額の算定

(1) 得べかりし売却代金

原告の得べかりし利益が問題になるのは、1(三)の四四万株のみである。

ところで、原告の主張によると、原告が宮地の指示違反を知り、抗議したのは一一月二二日というのであるから、約定の期限である一二月三日(最終取引日は一一月三〇日)までに十分売却しうるものであつた。しかるに、原告が宮地の指示違反に立腹してその後の売却を拒否したために、四四万株が約定期限までに売却できなくなつたのであるから、右四四万株の得べかりし利益を算出するときの平均株価は、一一月二二日から一一月末日までの東京株式市場の終値平均をとるのが相当であり、それは一〇二九円である。

よつて、四四万株の得べかりし売却代金は、四億五二七六円となる(1092円×44万株)。

(2) 右売却に要する費用 ……一三六一万四六七四円

ア 委託手数料 三七〇万三三四八円

ただし、一株一〇九二円で一万株ずつ売却したものとして計算する。

イ 有価証券取引税 ……一三五万八二八〇円

算出方法は、原告主張のとおりである。

ウ 消費税 ……一一万一一〇〇円

算出方法は、原告主張のとおりである。

エ 信用取引金利 ……三九一万一四一〇円

信用買付残株二七万株の売却までの金利であるが、遅くとも一一月末日までには決済しうべきであるので、その受渡し日一二月五日までの各金利を計算した。

オ 譲渡税 ……四五二万七六〇〇円

算出方法は、原告主張のとおりである。

(3) 四四万株の現実の売却(1(三))によつて原告が現に得た代金は、四億二〇八三万四六七四円である。

(4) 結論

よつて、損害金合計((1)-(2)-(3))は、一八三一万三五八八円となる。

第四  争点に対する判断

一  平成二年一〇月二五日の原告による買付指示・売却指示の有無について(争点1)。

1  前提事実

(一) 原告の従前の取引状況

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

原告は、昭和五八年ころ、被告(梅田支店・担当者宮地)との取引を開始し、翌五九年からは、信用取引を開始した。信用取引開始当初の原告の取引銘柄は、岩谷産業、雪印乳業、東洋証券といつた宮地の推奨銘柄で、多いときでも五〇〇〇株程度の取引であつたが、昭和六一、二年ころからは、宮地の勧めもあつて、取引銘柄を岩谷産業一本に絞るようになつた。なお、原告は、〇〇〇仲間である乙山、丙川、丁原、戊田、甲田に宮地を紹介したところ、これらの者も、宮地の勧めによつて岩谷産業株を売買するようになり、また、甲田を除いては、投資先を岩谷産業一本に絞るようになつた。

宮地は、昭和六一年四月ころ、梅田支店から本店投資相談部へ転勤となつたが、原告の希望で、その後も宮地を担当者として取引が続けられた。

原告の岩谷産業株の取引手法は、取引株数が大量であつたことから、宮地の勧めに従つて、売り上がり・買い下がりといつた手法を採用し、これにより原告は、別紙2のとおり、担当の利益を上げ、取引量も拡大していつた。また、注文は、指し値については宮地の提案に原告が乗る形で大筋の合意ができ、注文株数や注文日時等の具体的な執行については、宮地の裁量に委ねられていた。

なお、本件までの原告と宮地の間の取引において、紛争が起こつたことはなかつた。

(二) 岩谷産業株の動向--別紙

岩谷産業株の値動きは別紙3のとおりであり、平成二年四月と八月に大暴落があつた。

このとき原告も多大の損失を受け、四月の際には約一億円、八月の際には約八五〇〇万円の損失を出した。

2  右に認定した状況に引き続いて迎えた平成二年一〇月二五日の原告と宮地のやりとりについて、原告と被告の各主張は鋭く対立し、原告本人供述及び証人宮地の証言も、原告及び被告の主張にそれぞれ沿う形で鋭く対立しており、これらの供述を直接に裏付ける証拠はない。

そこで、以下、原告供述及び宮地証言の信用性について検討する。

(一) 原告の手仕舞動機について

(1) 借入金の存在

前記認定事実及び《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

ア 岩谷産業株の株価は、平成二年三月から四月にかけて五二〇円下落した。

イ そのため原告は、同年四月中旬に合計二七万三〇〇〇株の信用買付株を期日到来により売り処分し、これにより約一億円の損失が生じた。

ウ この決済資金として、原告は、同年四月二七日及び五月八日に三菱銀行から合計六〇〇〇万円を、同年四月二四日に日本生命保険相互会社から約一二八〇万円を、同年四月二六日に明治生命保険相互会社から合計約八八〇万円を各借り入れ、同年四月二五日から五月八日にかけて、合計約九六八〇万円を被告に設定した取引口座に入金した。

エ 右以外にも、平成二年一〇月当時、原告には、住宅ローンなど二億円余りの借金があつた。

オ 平成二年四月の借入金については返済期限は特に迫つているわけではなかつたが、これらすべてを返済することは、原告の収入では不可能な額であつたことから、当時原告は深刻な危機感を抱いており、また、家族からも早く返済するよう迫られていた。

(2) 地震情報

原告本人供述によると、原告は、平成二年一〇月初旬または中旬ころ、友人である乙田松夫を通して、リバティ情報研究所から、同年一二月三日に東京に大地震が発生する旨の情報を得たことが認められる。

(3) 湾岸戦争の発展

平成二年八月ころ、イラクがクウェートに侵攻するといういわゆる湾岸危機が発生し、いつ戦争状態に進展するか分からない状態であつたことは、当裁判所に顕著な事実である。

(4) まとめ

原告が手仕舞決意の動機として掲げる地震情報は、たしかに荒唐無稽というほかないが、返済能力を超える借入金を背負つている状況下で、仮に株価が暴落すれば、それまで築いてきた原告の人生そのものが狂つてしまうことになりかねず、湾岸危機勃発によつてその現実的危険が感じられていた時期でもあり、そのような原告であるならば、地震情報にも人一倍神経質になつたことも理解できる。結局、借入金や湾岸戦争という基礎要因に、地震情報がきつかけとなつて、原告には、手仕舞いを決意するについて合理的な理由があつたと認められる。

(5) もつとも、被告が指摘するように、本件当時、原告にとつて、平成二年四月の借入金の返済期限が特に迫つていたという事情はない。しかし、原告は、本件紛争後の平成三年二月から三月にかけて岩谷産業株を処分した際にも、返済資金ができるや直ちに右借入金の返済に回しているのであつて、このような態度及び先に認定したような借入金の原告に対する重圧からすれば、借入金返済が手仕舞いの動機であつたというのも肯けるところである。

また、被告は、原告が地震情報を入手した経路が不自然であると主張する。たしかに、原告が入手した筈の平成二年一〇月中旬ころのリバティ情報研究所のレポートは本件で提出されていない。しかし、一〇月二五日に地震の話が出たこと自体は、原告本人及び証人宮地が一致して供述するところであり、しかも、宮地自身、右情報を日本の雑誌で見たことがあつたというのであるから、右時点において、原告が地震情報を入手していたことは明白である。また、地震情報を手仕舞いの動機にするなどとは荒唐無稽であるが、右情報は、甲5によるとウォールストリートジャーナル誌にも記載されていたことが認められ、これに前記認定の原告の危機感を合わせると、原告の供述もさほど不自然とは思われない。

さらに、被告指摘のとおり、本件一〇月二五日直前の取引状況を見ると、原告は、別紙1のとおり宮地を通じて頻繁に取引しており、地震情報を入手していながら、手仕舞いをする気配が見えない。しかし、原告本人供述によると、原告は、宮地を紹介した〇〇〇仲間に対し、株式取引を止める了解を取り付けていたというのであるし、大地震発生とされた日まで一か月以上を残しているのであるから、手仕舞い指示が地震情報入手からしばらく時間が経過していても不自然ではない。

(二) 一〇月二五日の訪問目的について

証人宮地は、原告の診療所で行つたのは午後一時ころであり、自分の方から連絡を取つて、受渡し目的で訪問したと供述する。これに対し、原告本人は、宮地が訪問したのは午前一一時過ぎころであり、自ら宮地を呼び寄せ、その際に受渡しも行つたのだと供述し、右訪問の目的について供述が対立している。

ところで、午後一時というのは、後場の開始時刻であり、歩合外務員である宮地がその時刻に受渡し程度の目的で自ら原告の診療所を訪問するとは考えにくい。また、証人宮地の証言によると、同人は一〇〇人程度の顧客を有しており、場への注文は自分で出していたことが認められ、しかも、当時、原告との受渡しは、ほとんど郵送でなされており、宮地が原告の診療所を訪問することはあまりなかつたと認められるから、右宮地供述は採用できず、当日は、原告の側から呼び寄せたと認めるのが相当である。

(三) 平成二年一〇月二五日以後の経過について

(1) 同日以後の取引が、別紙1中の一〇月二五日以降欄のとおりなされたことは争いがない。

(2) この間のやりとりについて、原告本人は、売買報告書を見て、同年一一月初め、同月一六日及びその間にもう一回の計三回にわたつて、宮地に対して抗議し、新規買付けを否認するとともに、保有株の売却を再三指示したが、宮地が遵守しなかつたことから、同月二二日に守屋に抗議をしたと供述し、他方、証人宮地は、新規買付けをした日には、その後必ず電話で原告に報告していた、同年一〇月三一日または一一月一日と一一月九日には、株価の変化に応じた指示の変更があつたと供述するが、いずれも直接の裏付けとなる証拠はない。

(3) そこで、右両供述の信用性について検討するに、右両供述によると、次の事実が認められる。

ア 宮地は、同年一一月一七日から二六日まで休暇を取つてシンガポールへ旅行したが、その間である一一月二二日に、原告から被告(守屋)に対して、一〇月二五日に宮地に対して保有株式を売却するように指示したのに従わなかつたので、一株当たり一二〇〇円ですべて引き取つてほしい旨の抗議がなされた。

イ 宮地は、一一月二六日に職場に復帰して右事実を知らされ、原告に連絡しようとしたが、原告に拒否された。

ウ 一一月二九日になつて、宮地が守屋と共に原告の診療所へ赴いたところ、原告は、入口でボクシングの構えをとつたうえで、宮地に対して、お前は帰れと怒鳴つた。これに対し、宮地が無理に診療所内に座ろうとすると、原告から身体を突かれ、眼鏡を取れと言われた。そして、結局、原告が宮地の鞄を押しやつて、帰れと怒鳴るので、宮地は診療所を辞去した。その間、原告は、友人の丁原に電話をして、その場で守屋に対して、原告が手仕舞いを意図していたことを証明するよう依頼する一幕もあつた。

(4) ところで、《証拠略》によると、原告が宮地に対して声を荒らげたことはそれまで一度もなかつたと認められ、宮地に言わせれば、同年一一月二九日の原告は、人が変わつたようだつたというのである。

たしかに、同年一一月三日以降、岩谷産業の株価は下落し、原告が苦情を申し入れた一一月二二日には一一月当初に比較して一〇〇円程度下落していたわけであるが、先に認定したように、原告は、それまで宮地の助言にしたがつて投資をしてきており、平成二年四月や七月には相場下落(五二〇円または三五五円の下げ幅)により大損失を出し、金融機関から借入れまでして乗り切らねばならなかつたこともあるのに、そのときには何ら苦情を述べていない。原告は、本店に移つた宮地を特に氏名し、同人を担当者として取引を続け、宮地の助言に従つてかなりの利益を上げてきており、損失を借入れまでして補填しているのであるから、一一月二九日に至り、前記認定のように宮地との信頼関係が急変瓦解したのには、相当の理由があるとみるべきであつて、右程度の株価下落では説明がつかないところであり、他に理由らしきものも見いだせない。

しかも、原告は、最初の守屋への抗議以来、平成三年一一月一九日の宮地との電話を通して、一貫した主張をしており、実際、取引状況を見ても、一一月一九日約定成立分を最後に、同年二月以降、期日が到来したわけでもないのに保有株(原告が無断だと主張する新規買付株を含む。)を損切りして売却するまでは、原告は何等の取引を行つておらず、新規買付けに至つては、翌平成三年七月まで行つていない(《証拠略》。なお、この売却が追認を意味するものでないことは、後に認定するとおりである)。

このような事情からすると、取引成立の都度電話で報告していた旨の宮地証言は採用できず、かえつて、売買報告書を見て三度にわたつて抗議した旨の原告本人供述は信用できるというべきである。

(5) もつとも、被告指摘のように、原告が宮地に抗議したとしても、一一月二二日までは、宮地の新規買付株数の調査もしていなければ、上司たる守屋に苦情を述べるなどの行為を何らしていない。しかし、原告が指示した売却終了予定日は一二月三日(最終取引日は一一月三〇日)であるから、それまで日数があることや、基本的に宮地との間には長年の信頼関係があつたことを考えると、一一月二二日までの間に、宮地への抗議以上のことをしなかつたとしても、異とするに足りない。

また、被告が主張する同年一一月一九日約定成立分の原告への電話連絡も、それを裏付ける証拠はなく、また、甲9(原告の手帳)欄外の書き込みも、株価の記載か否かが定かでないうえに、そうであるとしても一〇月二五日以降のものであるという証拠はない。

(四) 以上からすると、前記宮地証言は採用できず、原告本人供述を採用して、原告は、一〇月二五日、宮地に対し、手仕舞いを指示したと認めるのが相当である。

二  平成二年一一月一三日売却分の五万株の扱いについて(争点2)

1  争いのない事実、《証拠略》によれば、同日に、原告保有の現物株五万株が売却され、同数の株が、信用買付株(一一月九日買付分)から現引きされていることが認められる。

被告は、このような処理は、節税的決済方法の一種であつて、これにより、一一月九日買付分が処分されたことになるのだと主張し、原告は、右売却は既保有株が売却されたに過ぎないと主張する。

2  ところで、《証拠略》によると、次に事実が認められる。

平成元年四月から実施されたいわゆるキャピタルゲイン課税制度によれば、顧客は、信用取引によつて益金が出る場合、〈1〉差金決済をして源泉分離課税方式(益金の二〇パーセント)をとるか、〈2〉信用買付株を現引きしたうえで、現物株を売却し、その売却代金の一パーセント相当分の源泉分離課税方式をとるか、いずれか有利な課税方式を選択することができるようになつた。そして、信用取引による買付株に生じた利益が譲渡代金額に対する割合が五パーセントを超えるときには、差金決済の方法によるよりも、買付株を現引きしたうえで現物株を売却した方が節税になる。反対に、信用取引の決済で損金が生じる場合は、差金決済して損金計上すれば、譲渡益が生じないので、課税はされない。

ところが、右〈2〉の手法をとつたとき、現引きした株券を、取引決済用の入金を経ることなく、そのまま当日売却した株券に対当させたならば、その取引は、差金決済取引の脱税行為となる。

そこで、顧客が、同一銘柄の現物株を大量に保有している場合には、現物株の売約定が成立すれば、既に保有している他の株券を売却株券に一旦提供し、他方、右売約定額に照らして利益の出る信用買付株を選択して現引きし、右売却代金でもつて、現引決済用の資金に充てる手法(以下これを「本件決済手法」という。)を採ればよいことになり、この場合は現物株の売却代金と現引決済金との差額が取引差益となる。

3  そして、《証拠略》によれば、原告の取引では、信用取引によつて差益が生じる局面では本件以前からこのような決済方法をとつてきたこと、一一月一三日の五万株の売却分でも、同日に五万株(一一月九日買付分)を現引きし、その差益として、三三六万一六〇二円を保証金に振り替える口座処理を行つていることが認められる。

4  ところで、本件決済手法は、信用買付株に利益が生じる場合には、差金決済をするのではなく、既に保有している現物株をその時点の株価で売却し、その後に利益の生じる信用買付株を同数だけ現引きするものであり、その取引日における結果を見るかぎり、差金決済がなされたのと同様の利益(売却代金額--現引決済額)を確保しつつ、売却代金への一パーセントの課税の途を選ぼうとするものであつて、前記のような条件(純益の譲渡代金額に対する割合が五パーセントを超えること)を満たす場合には、差金決済を選ぶのに比較して節税効果を有するものと言える。そして、本件決済手法が行われた場合、その前後では、ちようど売却した株数だけ信用買付株が減少しているのであつて、これを見ると、あたかも現引きされた信用買付株が処分されたかのような状況を呈している。

しかし、法的観点から見た場合には、信用買付株は、個々の注文に対応した買付ごとに個性化されており、信用買付株の処分とは、そのような個性化された買付株が最終的に金銭化されることであると解すべきであり、差金決済の場合には反対売買たる信用売りが、現引決済の場合には現引後の売却がそれに当たる。

この観点から見ると、本件決済手法においては、信用買付株の現引きに先行する現物株の売却は、以前に現引きされた信用買付株(または以前に買付けられた現物株)の処分に過ぎず、また、この取引の際に現引きされた株はそのまま残つているのであるから、この取引によつて現引きされた信用買付株が決済されたことにもならない。つまり、本件決済手法は、法的には、以前に現引きされた信用買付株(または以前に買付けられた現物株)の決済と、今回の信用買付株の現引きとが併存しているに過ぎず、今回に現引きされた信用買付株の処分(したがつて、その売却)とは見ることができない。

5  以上の検討からすれば、本件決済手法は、もちろん違法ないし脱法ではなく、一定の節税効果も有すると窺えるが、これによつて現引きされた信用買付株が処分されたとは言うことができない。したがつて、被告の主張は採用できず、平成二年一一月一三日売却の五万株は、原告の当初保有株中の現物株から売却されたと認めるのが相当である。

三  無断買付けの関係で原告が返還請求しうる預託金の額(争点3)、売却指示違反の関係での損害賠償額(争点4)

1  買付け及び売却の経過

(一) 平成二年一〇月二五日から同年末まで

前記争いのない事実及び《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(1) 平成二年一〇月二四日時点での原告の保有株数は、合計七三万一〇〇〇株(信用四七万五〇〇〇株、現物二五万六〇〇〇株)であつた。

(2) このうち、被告宮地は、同年一〇月二五日から一一月一五日にかけて、合計二〇万五〇〇〇株(現物)を売却して同数の信用買付株を現引きし、また、一一月一三日に五万株(現物)を売却した(残株数は、信用が二七万株、現物が二〇万六〇〇〇株)。

(3) 他方、宮地は、同年一〇月二五日から同年一一月一九日の間、原告の計算に帰せしめる形で、合計三〇万二〇〇〇株を信用買いし、うち五万株を現引きした。

(二) 平成三年一月から四月ころまで

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 守屋の後任として被告投資相談部々長に就任した上田は、平成三年一月下旬ころ、原告と面談した。原告は、その場で宮地の指示違反行為について抗議をし、補償を求めたが、上田は受け入れず、取引の効果が原告に帰属すると述べたため、結局、保有株を徐々に売却していくことで合意ができた。

(2) 上田は、右合意に従い、別紙4のとおり、原告保有株及び宮地の無断買付株を売却していつた。これにより、無断買付株のうち合計二五万二〇〇〇株が、平成三年二月二二日から同年三月七日にかけて売却(反対売買による決済)され、差損金二七九二万九二九五円が原告口座から出捐された。また原告保有株のうち、合計四四万株(信用二七万株、現物一七万株)が、同年二月六日から同年三月二六日の間に売却された。

当時、岩谷産業株の株価は上昇局面にあり、一月二四日には七二五円だつたのが二月二五日には一一六〇円まで上昇した。この影響を受けて、原告保有株も当初予想より高額で処分できるようになり、その結果、三月七日の時点で、無断買付分を含めて信用買付株の処分が終了し、翌八日の時点で、原告が平成二年四月に借り入れた金員を返済しうるだけの返金が生じ、三月一九日に被告から原告に一億二〇〇〇万余りが送金され、原告はこれにより借入金を返済した。

(3) 原告保有株等の処分は、同年三月八日から三月二五日まで行われず、同日及び翌二六日に処分がされて、被告は、原告に対し、四月二日に三二〇〇万円を送金した。

(4) こうして、三月末の時点で、無断買付株五万株及び原告保有株三万六〇〇〇株(いずれも現物)が残つた。

このように計八万六〇〇〇株が残つた理由について、証人上田は、三月一九日に、原告からこれらを長期保有株として残す旨の指示があつた、三月二五日の売却は、原告から、母親の都合で資金が要る旨連絡があつて指示されたものである。この受渡しのために四月二日に原告と面談した際にも、原告は、残存株は長期保有する旨告げたと証言し、他方、原告は、保有株の処分は上田に委ねていたところ、上田が売らなかつただけだと供述(第二回)している。

このように供述は対立しているが、(1)ないし(3)で認定した事実からすれば、原告は、信用買付株の処分が終了し、保証金が不要になるや、借金返済のためのまとまつた資金の返金を受けており、その保有株の処分動向に気を使つていたと推認されること、三月八日から二五日までの間に処分をしなかつたことの理由として上田が証言するところは、四月二日の送金と相まつて合理的であると考えられることからすると、原告の右供述は採用できず、上田証言のとおり、原告は、四月二日の時点で長期保有の意向を告げたと認められる。

(三) 平成三年五月以降

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、右八万六〇〇〇株についてはしばらく処分をせず、平成三年七月一日、右株を保証金代用証券として差し入れて、被告において信用取引を再開した。

(2) 原告の現物株売却は、平成四年一九日から再開され、平成五年四月一三日約定分までで八万六〇〇〇株を売却したことになる。

2  預託金額(無断買付関係)の算定(争点3)

(一) 宮地が新規に買い付けた合計三〇万二〇〇〇株のうち、合計二五万二〇〇〇株が原告と被告(担当者上田)の話し合いにより、平成三年二月以降売却され、差損金二七九二万九二九五円が原告口座から出捐されたことに争いはないところ、右買付は宮地の無断買付けであるから、被告が、右金額を原告口座から出捐したのは理由がない。

また、前記のとおり、平成二年一一月一三日の五万株売却は、右新規買付株の売却と言えないから、被告が、同日に同年一一月九日買付け分五万株の現引決済として、原告の口座から合計五五一五万〇〇八二円を出捐したことも理由がない。

(二) ところで、先に認定したとおり、原告は、平成三年七月一日、無断買付株の残存株五万株を含む合計八万六〇〇〇株を保証金代用証券として差し入れて、被告において信用取引を再開したことが認められるが、右残存株が宮地の無断買付けによるものであり、その効果が本来原告に帰属しないことからすれば、原告は、この時点において、前日終値(六月二八日・八七六円)にて右残存株を引き取つたものと評価するべきである。

この点について原告は、右残存株買付けの効果は原告に帰属しておらず、いまだに被告に帰属しているに過ぎないと主張するが、原告の右行動に照らし、採用できない。

(三) 被告は、原告の念書、前記した代用証券差入れ及び右残存株の平成四年一月以降の処分をもつて、原告は当初から右残存株が自己に帰属するものとして行動していたと主張する。この点は、争点1とも関係するが、これらの事実は、いずれも本件紛争が顕在化して後のことであつて、本件における宮地の買付けが無断であることを覆す理由とはならない。

(四) また原告が、平成三年三月末ころの時点で、右残存株を含む八万六〇〇〇株を長期保有する意向を表明したことは先に認定したとおりである。しかし、右残存株は宮地の無断買付けによるもので、その効果が本来原告に帰属しないものであるから、追認を認めるには、原告がそれによる損害賠償請求権を放棄する意思を有することが明らかであることを要すると解すべきところ、先に認定した事実及び《証拠略》によると、当時、岩谷産業株の株価はかなり下落していたこと、原告が、平成三年一月ころ上田に苦情を述べて補償を求めたところ、同人から無断買付を否定され、買付けの効果が原告に帰属する旨断定されたことが認められ、これからすると、原告は、不満を残しつつもやむを得ず上田に処理を委ね、同年三月末ころの発言に及んだものと推認されるから、右発言をもつて積極的に右残存株を引き取る意向を示したものと見ることはできず、前記のとおり七月一日の代用証券差入れをもつて右意向を表明したものと見るべきである。

(五) 以上によると、原告が返還を求めうる預託金額(無断買付関係)は、次のとおり三九二七万九三七七円となる。

2792万9295円+(5515万0081円--877円×50000)

3  損害額(売却指示違反関係)の算定(争点4)

(一) 宮地が売却指示に従つていれば得られたであろう売却額

前記認定事実によれば、原告は、平成二年一〇月二五日、宮地に対し、原告保有株の全てを同年一二月三日までに売却するよう指示したと認められるが、宮地が右指示に従つていたならば、原告保有株が大量であることからして、売却価格を不当に下げないように、右期限(最終取引日は一一月三〇日)まで均等に売却していた筈であると考えるのが合理的である。

したがつて、宮地が右指示に従つた場合、原告保有株は、右期間中の終値の平均値で売却できていた筈であると考えられ、乙3を基に計算すると、一一三二円(小数点以下切下げ)であると認められる。

(二) 原告の責めに帰せられるべき損害額

ところで、前記認定事実によると、原告が宮地に対する信頼を破壊されて、守屋に対する抗議に及んだのは平成二年一一月二二日であり、宮地に対する売却指示期限まで六取引日を残すときであつたことが認められ、《証拠略》によると、当時岩谷産業の株価は下落局面にあつたと認められるから、原告は、損害を最小限にくい止めるため、一一月三〇日までにその保有する株を売却することが可能であつたと言える。しかも、先に説示した無断買付株と異なり、宮地が売却しなかつたのは明らかに原告の保有する株なのであつて、原告の指示なしには被告とても売却できないのであるから、損害を最小限にくい止めることは、一に原告の肩にかかつていたのである。そして、本件記録中には、この時点で原告が売却を被告に指示した証拠及び原告が指示しても被告が売却を拒否したであろうと窺わせる証拠はない。

したがつて、一一月二二日から一一月三〇日までに原告保有株を売却したと仮定したときの損害額をこえる損害は、原告の責任に帰せしめられるべきであつて、損害額の算定から除外すべきである。

そして、右のように紛争の顕在化後直ちに売却する場合でも、やはり取引日ごとに均等に売却するのが合理的であるから、一一月二二日から同月三〇日までの終値の平均を求めると、乙3によれば、一〇二八円(小数点以下切下げ)となる。

しかし、この時点での原告の保有株数が膨大であり、乙3によつて認められる岩谷産業株の出来高や当時の株価下落傾向からすると、原告保有株を一斉に放出すれば、実際よりも株価を相当程度下落させたであろうことは疑いを入れない。

(三) 実際の処分額

(1) 四四万株(1(二)(2)について)

《証拠略》によると、実際には、前記四四万株は平成三年二月六日から同年三月二六日にかけて、平均九六五円(小数点以下切下げ)で売却されたことが認められる。

(2) 三万六〇〇〇株(1(二)(4)について)

先に認定した事実によると、この三万六〇〇〇株について、原告は、平成三年四月二日、上田に対し、長期保有の意向を告げたことが認められ、これは、原告が、この時点で本件紛争の処理を終了させ、それ以後の処分は自己の株式運用として行うことにしたものと言える。また、この三万六〇〇〇株が、先に述べた無断買付株と異なり、原告の所有に属するものであることからすれば、右のような原告の意向表明は、被告による処分の余地を奪うものであり、しかも《証拠略》によつて認められる四月二日ころの岩谷産業株の値動き及び出来高からすると、原告の右意向がなければ、被告は右株を処分していたであろうと推認される。

したがつて、原告は、この三万六〇〇〇株について、同日の価格で株式を売却したのと同様の経済的利益を取得したと評価すべきであるから、損害額の算定に当たつては、損益相殺の観点から、右意向を示した時点での処分価格を控除すべきである。そして、四月二日の時点での処分価格は、一〇一〇円(その日の終値)であると認められる。

(3) 実際の売却額の平均について

以上より、実際には、四七万六〇〇〇株は、平均して一株当たり九六八円(小数点以下切下げ)で売却された計算になる。

(965円×44万株+1010円×3万6000株)÷47万6000株

(四) 損益相殺額の選択

(二)と(三)を比較すると、乙3による平成二年一一月下旬ころの岩谷産業株の出来高と原告保有株の比較(この期間中の一一・五パーセントを占める)、この当時の株価の下げ傾向(一二月三日には八九九円にまで下落している。)を勘案すると、(二)の計算による平均売却価格は、(三)に述べた実際の平均売却価格(九六八円)を下回つたであろうと推認される。

(五) 結論

したがつて、原告の損害は、四七万六〇〇〇株を、平均一一三二円で売却した場合((一))、と実際の処分額((三))との差額として計算すべきである。

(六) 具体的計算

(1) 平均一一三二円で四七万六〇〇〇株を売却した場合の得べかりし収入額

ア 得べかりし売却代金 ……五億三八八三万二〇〇〇円(1132円×47万6000株)

イ 右売却に要する費用 ……一三八八万一七四〇円

a 委託手数料…四二七万三二八四円

弁論の全趣旨によると一万株ずつ(最後のみ七〇〇〇株)処分するものとして計算するのが相当であり、《証拠略》によるとこの額が算出される。

b 有価証券取引税 一六一万六四九六円

原告主張のとおりである。

c 消費税 一二万八一九八円

原告主張のとおりである。

d 信用取引金利 ……二四七万五五三二円

前記説示のとおり、宮地は全株を均等に売却していくものと考えられるから、信用買付株も均等に処分していくものと考えるのが合理的である。その場合の計算については、別紙5のとおりである。

e 譲渡税 ……五三八万八二三〇円

弁論の全趣旨により、約定代金×〇・〇〇一により算定する。

ウ まとめ

以上、差引計算(ア--イ)すると、五億二四九五万〇二六〇円となる。

(2) 実際の処分によつて原告が取得した金額

ア 前記四四万株を、平成三年二月六日から同年三月二六日にかけて売却した際の代金が、四億二〇八三万四六七四円であることに争いはない。

イ また、前記三万六〇〇〇株については、原告は、一株当たり一〇一〇円で売却したのと同様の経済的利益を取得したというべきであるから、原告は、三六三六万円相当の経済的利益を取得したこととなる。

ウ したがつて、実際の処分によつて原告が取得した金額は、四億五七一九万四六七四円となる。

(3) 結論

以上によれば、売却指示違反により、原告が被告に対して請求しうる逸失利益額は、六七七五万五五八六円となる。

また、宮地の売却指示違反行為と相当因果関係を有する弁護士費用は、七〇〇万円と認めるのが相当である(なお、預託金返還請求の部分については、弁護士費用の賠償を求めることはできない。)。

四  結論

以上の次第であつて、原告の請求は、〈1〉三九二七万九三七七円の預託金返還及びこれに対する平成四年一二月二六日(甲41及び弁論の全趣旨によつて返還請求をしたと認められる日の翌日)から支払い済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金、及び〈2〉七四七五万五五八六円の損害金及びこれに対する右同日(弁論の全趣旨によつて支払請求をしたと認められる日の翌日)から支払い済みまで同年六分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由がある。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下司正明 裁判官 西口 元 裁判官 高松宏之)

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